The same Rainbow

LOVE DREAM HAPPINESS を追いかけて

【雑記】ハイローからLDHに踏み入れたオタクが岩田剛典という人について考える

初めのほうの記事に書いているが、私がLDHという存在を認識したのは友人に勧められて見たハイローのドラマ版(シーズン2)だった。
当時の私はEXILEのATSUSHIさんとTAKAHIROさんだけ顔と名前が一致しているが、EXILEが所属している事務所がLDHという名称であること、三代目をはじめ弟分と呼ばれるグループが存在していることなどまったく知らない人間だった。
思い返してみると不思議なもので、三代目が一世を風靡した2015年前後、あれだけ出ずっぱりだった(らしい)彼らに一度も接触する機会(テレビで見たり、音楽を聞いたりという意味)がなかったなんて、そりゃ妹にも「『R.Y.U.S.E.I.』知らない人なんているんだ…」と言われるわけである。

さて、そんな私が上に挙げたお二人以外に初めて顔と名前を一致させたのは、恐らく岩ちゃんこと岩田剛典さんだと思う。AKIRAさんという説も捨てきれないが。ただ、最初はコブラ琥珀さんという覚え方をしていたので、コブラ=岩ちゃんのあともフルネームを覚えるまでは少し時間を要した。
岩ちゃんとは同い年だ。岩ちゃんは3月生まれなので、生まれ年は1989年(平成元年)だが、1988年(昭和63年)生まれの私と同じ学年ということになる。平成が始まるときに生まれ、平成の終わりで30歳を迎えた(迎える)世代である。
なぜ今日は岩ちゃんについて書きたいと思ったかというと、彼の書くモバイルブログに同い年として打ちのめされることが多く、どこかに吐き出さないとずっと鬱々としてしまうと思いここに書き留めておくことにしたというだけである。

※毎度のことですが、私はファン歴の浅いにわかファンなので間違っている部分もあると思います。すみません。

 

「人生半分捨てた」という言葉の意味

これは確か『SEVEN/7』での岩ちゃんの言葉だ。そっちの感想記事にも書いたのだが、同時期に岩ちゃんがテレビで「今が幸せとは言えない」というニュアンスの発言をしたこともあり(バラエティ番組だったので真意は分からない)色々考えさせられた言葉となった。
『SEVEN/7』を見てから半年以上が経過した今、岩ちゃんは過去(初期)のイメージは捨てて、みんなが求める王子様としての岩ちゃんを貫き通すことをどこかのタイミングで腹をくくったんだなと思う。
これはずっと言い続けているだけで勝手な想像だが、岩ちゃんがなりたい・これが自分だと思っていたのは初期のような姿で、求められるものとのギャップに悩んだこともあったが故の「半分捨てた」なんだろうなと思っている。
加えて、パフォーマンスや普段の立ち居振る舞い、着る服、髪型、メイク…恐らく内面も求められるものに応えていくスタイルに変えた部分はかなりあるのではないだろうか。いや、この言い方には語弊がある。期待された方向性の自分(可愛い、綺麗、王子…など)をその期待以上で返すという方向に舵を切った。自分がやりたい・なりたいものは封印して。

 

ブログで垣間見える本音、そしてファンへの思い

上から目線のものいいだと感じられたら申し訳ないのだが、岩ちゃんのブログを読んでいると、非常に頭のいい人だということが分かる。
表には出せない、見せない本音を会員限定のブログという場所で吐露してくれる岩ちゃんはファンの心をがっしり掴むすべも心得ている。また、ファンが不安に思っていそうなことを察知して、ブログで説明をしてくれたりもする。オフショットを載せてくれることもある。
意地の悪い言い方をすると「どこまでが計算なのだろうか?」と思うことがある。ファンというのは“特別感”が好きだ。岩ちゃんがファンに対してだけ今こういう気持ちなんだよと伝えてくれるのは嬉しいに決まっている。単純に彼の優しさかもしれないし、私たちが想像もつかないような思惑があったりする…のかもしれない。

岩ちゃんはブログでときどき強めの言葉を使うこともある。攻撃的というのとは少し違うが、自分に対してとても厳しい人であることが分かる物言いに最初は少し驚いた。
少し前の記事だが「結果が出ない努力は努力ではない」この言葉はかなり刺さった。「そう戒めて」と続いているので岩ちゃんは自分に向けて言っているのだろう。それでもグサッときたのである。
恐らく私が彼より年下か、はたまた年上だったらここまで何か感じることはなかっただろう。“同い年”というのはそれだけ重いのだ。同じだけ生きて、同じ環境(社会情勢や政治や景気や…)で生きて、30年経った。芸能人だからすごいだけでは片付けられないものがある。「私は同い年の彼と比べて、どれほど足りない人間か」というのをブログを読んでいると度々突きつけられる。
もちろん岩ちゃんはドームを満員にしてツアーを行うグループ×2のパフォーマーであり、VUITTONのParisでのショーに呼ばれるほどの人物であり、ドラマに映画にたくさん出ていて、一般人と比べようのないほど雲の上の存在であることは重々承知している。
でもそれは同じ時代を同じ年数だけ生きたのに、圧倒的な努力の差が(そしてきっとわずかの運の差が)出てこうなってるんだろうと感じるのである。
誰もがスターにはなれない。それは誰もがスターになれるほどの努力をし続けることができないからだと思う。諦める、挫折する、妥協する…自分含め凡人はそういったものに甘んじてしまうから。

 

30歳という節目に考えること

ここからは完全に自分語り。

転職して丸5ヶ月経った。私がシステムエンジニア(SE)から未経験でWebライターに、会社だけでなく職種まで変えたのは2018年の8月のことだった。
今でもSEは自分に合っている仕事だと思っている。私は自分が担当していた「鉄道システム」が大好きだった。お客様にも信頼してもらえていたし、仕事もできるほうだと自負していた。評価も年収も高く、男社会でももしかしたら昇進できるのではないかと思っていた。
しかし、上司たちと仕事に対するスタンスの違いや自分が信念を持ってやっていることを否定されるなど耐えられないことが頻発し転職を決めた。古い体質の大企業だったので、結局上司とウマが合わない=昇進はなかった。年収は200万下がった。しかし、労働時間は半分以下になった。
元々心身ともに強靭だったが(鬱になり会社を休職したり辞めたりしていく人をたくさん見てきた)労働時間激減により本当に元気ハツラツになった。笑 まだゴールデンタイムのTV番組がやっている時間に帰宅するなど考えられないことだった。

転職は成功した。どう見ても成功したとしか言いようがない。しかし、本当にこれでよかったのだろうかと頭の片隅で思っている自分がいる。
ライターという仕事でどうキャリアを積んでいいか分からない。編集や取材をする仕事でもないので、本当にずっと書いている毎日だ。書くことは大好きで、それは私にとっては幸せで、何も不満はない。でも、10年後どうなっていたらいいのか分からない。
空いた時間で趣味を楽しんでいてもいつも頭の片隅に将来の不安がある。独身で、この仕事で、10年後どうなっていたら正解なのだろうか?と考える。資格を取れば正解だろうか?本を読めば?もう一度SEになるためスキルを磨く?答えは出ていない。

少し前に親友の子どもが2歳になった。一緒に声優さんのライブにいつも行っていたのが遠い昔のことのように思える。
自分がこんな30歳を迎えるとは思ってもみなかった。転職もそうだけれど、家庭も持たず、趣味に明け暮れて週末になるとライブに出かける。楽しいけれど、もしかしてもうリミットは過ぎてしまったのではないかと冷静になることがある。
とまあこんな状態なので、同い年で輝いている岩ちゃんこと岩田剛典さんのブログの言葉は毎回突き刺さるというわけだ。笑

2019年は三代目のツアーがある。ここで自分も一区切りつけないといけないのかもしれない。