The same Rainbow

LOVE DREAM HAPPINESS を追いかけて

【雑記】オタクは推しが“本当に”幸せになってもそれを願い続けられるのか

この記事はLDHの人たちの結婚などについてつらつら書くだけなので、その手の話題が苦手な方はそっとブラウザを閉じることを推奨する。
そして痛い発言がたびたび飛び出す可能性もあるため、受け止めるorスルーできる覚悟がある方だけ先に進んで欲しい。

 

今年に入ってからMAKIDAIさん、TETSUYAさん、AKIRAさん、ケンチさんの結婚、NAOTOさんの熱愛報道、TETSUYAさんは第一子も誕生されたとのことで…幸せいっぱいの報告が続いている。
この中にいわゆる私の“推し”はいないのだが、EXILEEXILE THE SECONDも応援しているひとりのファンとして「おめでとう」という気持ちと、「いつか自分の推しにもこういう日が来るのだな…」という覚悟を持たねばという気持ちとがせめぎ合っていたりする。
と言っても何度もこのブログで書いている通り私は30歳を過ぎているし、友人や同期も多くは家庭を持ち子育てをしている世代だ。友人の子どもと会ったり、なんならちょっとだけ面倒を見たり、遊ぼうとなると子どもを連れてくる子がいるのも当たり前の年齢になった。いくら未婚率上昇・少子化と言っても特に女性は30を過ぎるまでには結婚し子どもを産むというのがセオリーである。もちろん離婚する人たちも出始めたが…。
なので若いファンと違って結婚や出産というのは(独身ながら)身近かつリアルであるし、「年齢を考えたらそろそろよね~」と理解することもできる。
これまでは別に推しに彼女がいようが(てかいるよねと思ってるので)結婚しようが自分の応援する気持ちは変わらないと思っていた。
私は昔から「誰かを(恋愛感情で)好きになる」という気持ちが欠落していて、これは厨二病だから大人になったら治ると思っていたのに、どんな人と何人と付き合ってもついぞこの歳まで治ることはなかった。
だからなのかは分からないが、推しが誰かを愛して・愛されて幸せになることは心から喜ばしいことだと思っていた。そりゃ「カッコいい!」と思って応援しているので、付き合うのとかは裏でひっそりやってほしいなという気持ちがないでもないが、結婚するとなったらそりゃ公表してほしいしお祝いしたいと思っていた。

今日TETSUYAさんのこの記事を見るまでは。

mdpr.jp

私をざわざわさせたのはこの部分だ(記事から抜粋)。

自身も今年3月に交際約3年の一般女性との入籍を発表したTETSUYAは「幸せな空気がグループ内にも充満している。新しいEXILEというか、新しい表現の仕方が見えてきていると思う」と変化を告白。「幸せな空気に包まれながら来年はベストパフォーマンスをやっていけたら」と意気込んだ。

LDHとりわけEXILEや三代目のドームライブというのはスケールが大きくて、本当にすさまじいエネルギーとラブドリームハピネスをもらえる空間なのだが、私たちがもらっているそれらの源は奥さんや子どもから来ているのだなと捉えてしまった。(ファンの存在がどうとかは一切言及されていないので私の勝手な妄想だ。)
少なくとも独り身の自分は、結婚&子どものおかげで幸せオーラ全開のメンバーのパフォーマンスをこれまでどおり受け止める覚悟がない。「幸せな空気に包まれながら」はキツすぎる。この部分を何度も読んでいるとLDHのオタクを辞めたくなる。まあ簡単に辞められたら苦労はないんだけど…笑

このあいだTwitterで見かけた素敵なnoteがあって、こんな場末のブログに貼るのは申し訳ないがタイトルの「私はLDHを幸せにできない」が何度も頭の中を巡るのでここで紹介させていただきたい。

note.mu

この記事の内容は本当に素敵なハッピーが詰まっている。前日25日の公演に入っていたためその光景がすごく浮かぶし、いつも9割方ぼっちかつ周囲と仲良くなることもない私にはキラキラと眩しく思えた。
ただ、そうか「私はLDHを幸せにできない」んだな、という当たり前のことが当たり前にのしかかってきた。
同時に「LDHに幸せはもらえるけど幸せにしてもらうことはないんだな」というこれもまたごく当たり前のことを思ったりもした。意味がわからないと思うのでもう少し説明すると、ライブとかで楽しい!最高!好き!ありがとう!という感情がはちきれんばかりの幸せをもらっても、誰も私個人の人生を保証してはくれないということだ。うん、当たり前や!笑

なんだか本当に勝手なのだがどれだけお金や時間をかけて会いに行っても、ファンという集合体では多少プラスになっているかもしれないが、彼らの人生において、私個人というのは本当に取るに足らない存在なのだなとはっきりと気付かされてしまった。
別にオリコンを左右するほどCDを買ったり、積んだり、バクステに入ったりしているわけでもないいちファンがこんなことを思うのは本当に図々しいのだがどこかでアーティストとファンは特別な関係…というと変なので、特別な絆がある存在でありたいと思っていたのかもしれない。おこがましい。我ながらおぞましい。

LDHに深くハマってうっかりもう2年は経ってしまった。ハイローにハマったころ(LDH沼にはまだ片足程度のころ)から数えると3年は経った。
そろそろ自分の幸せについて本気で考えないといけないのではないだろうか…?貯金を地味に減らし続けながら無理してチケットを買ったり遠征を続けていたりしていいのだろうか?年齢的にリミットはもう過ぎてしまったのかもしれないが、最近こんなことばかり考えてしまいオタク活動で少し憂鬱な気持ちになっている。
しかもカウントダウンライブがことごとく当たらない、バリのリリイベに関東がない、bayfmのイベントに当選したのに台風直撃(多分中止)、ランペのアルバム発売記念イベントのキャパが狭すぎる問題、帰りに寄った本屋に日経エンタテインメントがない…という萎え要素が重なって……ってまあこれは半分冗談だがw テンションの上がらない事象が続いて滅入っている。

そしてタイトルに続くのだが、推しの幸せを願っているオタクは、推しが本当に幸せになっても(今回は家庭を持つことを指す)幸せを引き続き願い続けられるのだろうか?という疑問が生まれてしまった。
私がひとりで自分の人生をかける勢いで応援したとしても推しは誰かと幸せになるのだ。だからきっと30手前あたりで引き際を見極めるべきだった。
今から自分の幸せを探しに行くのはきっととんでもない茨道な気がする。誰か25くらいで「おいおまえそのままだとやべーぞ」と言ってほしかった!!笑
8月9月は現場がかなり多くて楽しくて幸せだった。すごく近くで見れたこともあったし、遠くても同じ空間にいることが嬉しかった日もあった。10月は少し落ち着いてしまって、しかも慎くんが出てる『主人公』で未来ある若者の姿を見せつけられてしまって「あのころの私が今の私を見たらどう思うだろうか?」なんて思わされたりもした。
自分はどう生きるべきかなんて若いころは深く考えなかった。でもそういうことを考えられるようになったころにはもう遅いのかもしれない。

自分の生き方を否定するのは苦しい。できれば永遠にこんなことに気づかずに楽しくオタクをやって35歳くらいで死にたかった。
心の拠り所が一箇所だとこういうことになるので、もしこんな記事をここまで読んでくださった若いお嬢さんは別の拠り所も見つけたほうがいいわよというのだけ言っておきます。笑
ただ…自分の場合、困ったのが結婚願望が0なのと子どもが嫌いなのでそれも要らないとなると「私はどうやったら幸せになれるのか……?」という難題に…。あれ?じゃあオタクで推しを一生追いかけてるのが一番幸せなのでは!?
てか今のままで十分幸せだよ。自由に時間使えて、お金もまあちょっと苦しいこともあるけど別にひとりで生きる分には困らないし、なーんだ…じゃあ今のままでいいや……(無限ループ)